カズキのうた

夕張出身テノールのブログ
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明日は中間発表
 がんばります。


参考資料としてメモを作成しました

興味のある方はどうぞご覧ください




情報不足、うそがあるかもしれないので注意!!!




201163日   中間発表 メモ

古城一樹

 

 

曲目 
・ロッシーニ作曲  歌劇《オテロ》より “
Ah come mai non senti”

   
・ベッリーニ作曲  歌劇《海賊》より  “
Nel furor delle tempeste”

   
・ドニゼッティ作曲 歌劇《ルチア》より “
Tombe degli avi miei”

 

 

選曲の意図

 

 19世紀初頭から起こり始めた、装飾的な音楽から劇的な音楽への移行を、時代順に演奏することで体感するため。

 また、当時の名歌手のために書かれた楽譜なので、彼らの能力も垣間見ることかできる。

 

 

・ロッシーニ作曲、歌劇《オテロ》

 初演 1816年 フォンド劇場(ナポリ)

 

 ロッシーニ(17921868)のいわゆるナポリ時代の作品。バルバヤという当時有力だった興行師のもとで、当時のほとんど最高ともいえる歌手のために作った。

 ヴェルディの同名作品が有名だが、音楽はもちろん物語の内容、構成はまったく違うものである。特に違うのは、ヴェルディではヤーゴが重要な役割を果たすが(ボーイトやヴェルディが《オテロ》ではなく《ヤーゴ》と呼んでいた形跡がある)、ロッシーニではロドリーゴが重視され、ヤーゴはその分脇に入っている(しかもテノールである)(※研究中)

 デズデモナは後にロッシーニの妻になる、当時オペラ界の女王的存在だったイザベッラ・コルブランのために書かれており、彼女の活躍の場のためにこのオペラがあるといっても過言ではない。しかしこの《オテロ》で面白いのは、なんと言ってもテノールの使い方である。ぱっと見て驚かされるのが、端役も入れるとこのオペラには6つテノールの役がある。初演時は2つの役が一人で歌われているが、それでも5人のテノールが歌うことになる。さらに、中心となるオテロ、ロドリーゴ、ヤーゴは、それぞれがそれぞれと3通りの2重唱を行うよう書かれている。これは劇的な効果というよりは、演奏効果を狙ったものだとも考えられる。(※研究中)

 今回歌うのは、この3役の中でもっとも高い音域を受け持つロドリーゴのアリアである。楽譜を見れば、この3役を歌った歌手がすべて卓越した装飾的歌唱のマエストロであることがわかる。以下に彼らが初演したロッシーニのオペラの一覧を記す。

 

Nozzari, Andrea (1775 Vertrova, c. Bergamo - 12.12.1832 Napoli):

 Leicester, Elisabetta, regina d'Inghilterra

 Otello, Otello

 Rinaldo, Armida

 Osiride, Mosè in Egitto

 Agorante, Ricciardo e Zoraide

 Pirro, Ermione

 Rodrigo, La donna del lago

 Erisso, Maometto secondo

 Antenore, Zelmira

 

 

Ciccimarra, Giuseppe:

 Jago, Otello

 Goffredo, Carlo, Armida

 Aronne, Mosè in Egitto

 Ernesto, Ricciardo e Zoraide

 Pilade, Ermione

 Condulmiero, Maometto secondo

 

David, Giovanni (15.9.1790 Napoli - 1864 St Peterburg):

 Narciso, Il turco in Italia

 Rodrigo, Otello

 Ricciardo, Ricciardo e Zoraide

 Oreste, Ermione

 Giacomo V, La donna del lago

 Ilo, Zelmira

 

出典 http://opera.stanford.edu/Rossini/creators.html

 

 オテロ役のアンドレア・ノッツァーリ(17751832)は、カストラートが衰退を見せる時代において、テノールの隆盛のいわば“開拓者”の“第二世代”の一人である。彼の声はバリトン的であったとされ、この《オテロ》でもテッシトゥーラは五線の下のAから上のAまでである。しかし、後述するロドリーゴとの二重唱では五線の上のDまでかかれており、それはファルセットを用いて歌っていたと考えられる。アジリタの名手であったが、演技者としても評価されていた。彼はまた、“テノールの王”とまで称された後述するルビーニの師でもある。

 ロドリーゴ役のジョヴァンニ・ダヴィッド(17901864)は、前述の“開拓者”の“第一世代”、ジャコモ・ダヴィッドの息子である。ノッツァーリのようなバリテノーレだった父とは違い、彼は「テノリーノ」と呼ばれる、非常に高い音域を持つ歌手だった。彼によってこの種類の声が認められ始めたといっても過言ではない。彼の役ではテッシトゥーラは下のDから五線上のCまで及び、オテロとの2重唱ではDにまで達する。この2重唱でロッシーニはほぼまったく同じ楽譜を2人に与えており、おそらくバリテノーレとテノリーノの声と、装飾の競争を狙ったものと考えられる。

 彼は歴史上もっとも高音に恵まれた歌手として考えられ、資料によってはソプラノ歌手の五線上のBまで達したともいわれている。おそらくは父の指導のもと、カストラートたちと同じメソッド、胸声とファルセットの融合を突き詰めた結果であろうと思われる。父を超える驚異的なアジリタの歌手であり、当時のテノールとしてはかなりアイドル視されていたようだ。しかし、多くの歌手がそうであったように演技には関心がなく、過度の装飾で非難された。

 

 Ah come mai non sentiは、ロドリーゴがデズデモナから、既にオテロと愛を誓い合ったことを聞き、激昂、そして絶望して歌うアリアである。

 典型的なSolita formaとも言え、前半がゆったりしたカンタービレ、その後やや盛り上がるつなぎ部分(この曲の場合、合唱はない)、後半が技巧的なカバレッタ的部分、という構成である。アリアによっては、管楽器が特別に活躍することのあるロッシーニだが、この曲ではクラリネットが重要な役割を果たす。音域(DC)、音型ともに高度な技術を要求するアリアだが、ダヴィッドはこれ以上に装飾し、より高い音域まで達したと考えられる。 今回は一部音を下げ、また装飾して演奏する。

 

 

・ベッリーニ作曲、歌劇《海賊》

 初演 1827年 スカラ座(ミラノ)

 

 《海賊》はベッリーニの3作目のオペラである。たった3作目にして、なぜわずか25歳の作品がスカラ座で上演されたのか、それは前述の興行師バルバヤの目にとまったからである。ナポリの音楽院で学び、成績優秀者として彼のオペラが音楽院で上演された(アデルソンとサルヴィーニ)。おそらくその評判を聞きつけ、バルバヤが次の年のサン・カルロ劇場のために作品(ビアンカとジェルナンド)を依頼、そしてミラノにつながったと考えられる(※研究中)。ともかくこの《海賊》でベッリーニは、オペラ作曲家として名を知られることとなる。

このオペラのテノール役グアルティエーロは、前述のノッツァーリの弟子、ジョヴァンニ・バッティスタ・ルビーニ(17941854)のために書かれた。その他、イモジェーネ役を、ルビーニと同じくベッリーニ作品を4作初演することになるアンリエット・メリク=ラランド(17981867)、エルネスト役をアントニオ・タンブリーニ(18001876)が初演した。

 

 ルビーニは当初、華奢な声をもった歌手と思われていた。1813年にパラッツォロ劇場の“第2半性格歌手”として契約されたが、ミラノの劇場では彼を受け入れるところはなかった。1815年にナポリのバルバヤと出会って契約したが、賃金は安かった。彼はテノリーノであったが、ナポリにはジョヴァンニ・ダヴィッドがいた。しかし、おそらく同時にノッツァーリともここで出会い、その指導のもと徐々に頭角を現し始める。ローマやウィーンでも成功を収め、1827年はスカラ座デビューの年であった。彼は前作の《ビアンカとジェルナンド》(サン・カルロ劇場)にも出演しており、その後も《夢遊病の女》、《清教徒》に出演している。ベッリーニは《ノルマ》のポリオーネ役(バリテノーレのドンツェッリのためにかかれた)を彼のために書き換えることも考えており、ベッリーニのお気に入りの歌手であり、友人であったと思われる。

 ダヴィッドと同じく、テノリーノでアジリタの名手であり、演技にあまり関心のないこと、装飾が過ぎることなど共通点も多かったが、語り継がれているものを見る限り、彼らの間には大きな違いが見られる。まずダヴィッドはいかなるところにもファルセットを多用したとされているが、ルビーニは胸声でHまで達したとされ、Aから上はファルセットというのが平均だった時代には驚異的なことであり、劇的歌唱のさきがけとも考えられる。彼の声は輝かしくみずみずしいもので、胸声の上は柔らかく甘美なファルセットで続けられたとされる。ベッリーニは「彼の歌唱は私の音楽に天使の響きを与えた」と述べている。ファルセットはソプラノの五線上のGまで達したとされ、《清教徒》には今日まで楽譜に残るテノールの最高音のFが与えられている。また、ルビーニはファルセットを胸声と同じように力強く発する術をもち、その声区の切り替えはまったく見事だったらしく、ショパンは「常に“頭の声でなく”フルヴォイスで歌う」と記している。また、多くの文献でルビーニは「トリルを多用する」とされているが、これをビブラートと解釈し、その創始者とされている(ショパンの手紙に、「いつまでも続くトリルをつかう」という記述がある)。重唱やレチタティーヴォの部分では力を節約し、演技も大変質素だったが、彼の魅力を最大限に発揮し、聴衆も待ち望んでいたのはアリアだった。彼はまた“声の中の涙”の創始者であり、多くの人が彼の歌に涙を流したとされる(「ルビーニが泣いているように歌っているとき、ショパンも泣いているようだった」という記述が残されている)。彼はまさに歴史上もっとも偉大なテノールであり、彼の前にはエンリーコ・カルーゾも比較にならないとされる。

 

 Nel furor delle tempesteは、嵐で打ち上げられた後歌われるグアルティエーロのカヴァティーナであり、自分はイモジェーネへの愛のために生きていること、彼女に二度と会えないのであれば、耐えられず死を選ぶだろう、という内容である。これも、ロッシーニと同じくSolita formaの典型だが、聴いた印象はずいぶん違う。中間部の合唱が入る部分はある程度伝統を感じるが、前半のカンタービレの部分は、舞曲的なリズムをもって開始される。そして後半のカバレッタの部分は、伴奏こそ躍動感はあるが、“ベッリーニ節”とも言うべき非常にフレーズの長い流麗なメロディで綴られる。音域は五線下のDから上のDまでと非常に広いものであるが、アジリタ的要素は非常に限定されたものとなっている。

 今回は一部楽譜に記されたオプションで演奏する。

 

 

・ドニゼッティ作曲 歌劇《ルチア》

 初演 1835年 サン・カルロ劇場(ナポリ)

 

 “狂乱の場”であまりにも有名な《ランメルモールのルチア》は、ロッシーニはとっくに引退し、ベッリーニがなくなった直後に初演された。最後に残された巨匠としての地位を完全に確立した作品といえる。最も緊張感の高い場面で歌われる6重唱もまた、ドニゼッティの珠玉の場面として知られている。しかし一時はソプラノの技巧を示すだけの作品とみなされていた。今ではオペラのもっともスタンダードな作品のひとつである。

 この作品はイタリアで初演されたが、エドガルド役はフランス人のジルベール・デュプレ(18061896)によって歌われた。彼は言わずと知れた、“胸声のC”の創始者である。またルチア役は、ノッツァーリと並ぶ“開拓者第2世代”のバリテノーレ、ニコラ・タキナルディ(17721859)の娘、驚異的な音域とアジリタを誇るファニー・タッキナルディ=ペルシアーニ(18121867)が歌った。

 

 デュプレは当初、パリでロッシーニテノールとして登場したが、1828年になっても成功するにいたらなかった。彼のキャリアはイタリアに行くことで動き始めた。イタリアで彼は前述のルビーニと、ドンッツェッリに出会った。ルビーニのブラブーラと甘い歌唱、そしてドンッツェッリの力強い歌唱、これらに影響を受け彼は急速に成長を遂げたらしい。当初わずかしか響かなかったとされる声から、彼はドラマティックな方向に路線を変える。どうやらロッシーニのテノリーノ役よりも、そちらのほうが彼に向いているようであった。そしてついに1831年、ルッカでの《ウィリアム・テル》イタリア初演を迎えた。アルノルド役に抜擢されたデュプレは、その役を学ぶ過程でついに高音のCを胸声で出すことに成功する。ロッシーニはその声を評価しなかったが、聴衆はそうではなかった。その名声は、《ウィリアム・テル》を初演した歌手アドルフ・ヌーリ(18021839)を自殺に追い込むほどだった。時代はドラマッティックな方向へ進み、ルビーニの“天使の歌声”の本当の意味での後継者はついに生まれなかった。現代のテノールの源流は、デュプレに通じるといっても過言ではない。(※研究中)

 Tombe degli avi mieiは、エドガルドがエンリーコとの決闘をするため、ラヴェンスウッド家の墓に来たところで歌われる。ルチアの裏切りを受け、すっかり絶望した彼は、ルチアへの怒りを露にしながらも、私の墓のことは忘れてほしい、でもせめてどうか君のために死んでいく者のことを考えてくれ、と歌う。

 この曲の音域はオプションを入れてもBまでだが、慣例となっているカデンツァを含めればHまでとなる。今までの曲と比べるとだいぶ低く感じるが、もともとファルセット歌手のデュプレために書かれたエドガルドは、最高音にEsをもつ非常に高い役である(ルチアとの2重唱)。しかし、デュプレが得意としたと思われる非常に劇的な場面と音楽が登場するのも事実である。この曲を今までの2曲と同じ風に捉えると、まさにまったく違う形式で書かれていると感じる。しかし実際には、レチタティーヴォ(シェーナ)付のカンタービレのように解釈するのが妥当だと思われる。しかし続く合唱のあと、一時代まえなら技巧的な曲がきておかしくない場面に、非常にゆったりした楽想が現れる(Tu che a Dio spiegasti l’ali)。これは明らかに、歌の技巧の見せ場としての音楽ではなく、ドラマを重視した音楽である。エドガルドはルビーニも特に愛した役のひとつで、最期の場面はむせび泣くように、消え入るように、歌ったとされる。

 今回は現在通例歌われている形を目標に演奏を行う。(オプション、カデンツァ)



ご精読ありがとうございました。

| カズキ | 思いつくままに | 22:56 | comments(0) | - |
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